パニック障害 PR

海外移住した私がパニック障害になったきっかけ・原因

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今回は、海外移住した私がパニック障害になったきっかけ(原因)を書いてみたいと思います。

パニック障害に関係ない方にはまったく興味がない話だと思いますので、そのまま違う記事でもご覧下さい笑

パニック障害になったきっかけ(原因)

私がパニック障害になったきっかけは「満員電車」です。

何が起きたかと言うと、ある日いつものように満員電車に乗って学校へ行っていたら、突然の腹痛に襲われてしまいました。

トイレに行こうにもその電車は急行列車なので、乗車した駅から25分間は止まらない電車でした。

正直なところ、もう漏らすかも知れないと青い顔をしている時に、前に座っていた女性が心配して席を譲ってくれたのですが、座ったからと言って収まるものでもなく、なんとか耐えていました。

そして、その場はなんとか耐え凌いでトイレに駆け込み難を逃れて一安心といったところです。

それから、その日は、朝から疲れたものの普通に学校で授業を受けて、同じ急行列車で帰宅しました。

原因不明の立ちくらみ

もちろん、翌日も学校があったので朝から同じ満員電車に乗りました。

一駅、二駅と過ぎて、次から25分間停車しない駅に停車。

そして、その駅のドアが閉まった途端に、急に身体に寒気、めまいを感じて立ってられなくなり、フラフラしているところをまた近くの席に座っている人に座席を譲ってもらって助けてもらうことになりました。

気が遠くなるのを感じながら次の駅に停車したので、学校のある駅はまだ先でしたがすぐに降りましたね。

すると、降りて駅のベンチで休憩していると、すぐに回復してきたので、遅刻ながらもまた学校へ向かい、きっちりと授業を受けて同じ電車で帰宅。

パニック障害で急行電車に乗れなくなったきっかけ

次の日からは、乗ろうと思うとなんだか嫌な感じがすると思い、急行電車に乗るのは止めて各駅停車に変えて学校に行くようにしました。

時間は掛かりましたが、それから数ヶ月間は朝早く起きて各駅停車で学校へ行く生活でした。

電車に乗ろうとしただけで突然の過呼吸

ある日、電車に乗ろうとすると身体に寒気がして、手足が震えて、目の前がぐるぐると回っていると感じた時には立っていられなくなり、倒れる寸前で駅のベンチに転がり込みました。

そして、それを見ていた駅員さんが医務室に連れて行ってくれ、救急車を呼ぶか?どうした?と聞かれたのですが、自分でも訳が分からないと言うしかありませんでしたね。

その時代は、過呼吸という言葉自体が一般的ではなく、心療内科などもホトンド無い頃でしたので、自分に何が起きているのかはまったく不明だったんです。

しかし、学校に行かないわけにも行きませんので、なんとか学校には行き続けましたが、正直毎日何か起きるかもと恐れるギリギリの日々です。

はじめてパニック障害を知る

1年も経つ頃には、かなり学校の遅刻や欠席の回数が増えてきたので、先生がどうしたのかと相談に来ました。

たまたまその先生は「スポーツ心理学」を専攻していた先生だったのですが、隠してもしょうがないので身に起こったことを話しました。

すると先生はすぐに「それはパニックディスオーダー(パニック障害)」だということを言われました。

ただ、心療内科を探して医師の診断を受けた方が良いと言われた時には、広場恐怖症の状態になっていて時すでに遅しでした。

パニック障害のため1年で学校を辞める

パニック障害のことを知った時には、すでにギリギリ状態で、電車に乗ると考えただけで過呼吸になる状態になっていました。

とても通学できる状態ではないので、1年で学校を辞めて働くことにしました。

ただ、その時は学校の先生に相談した以外は、親にも誰にも言えずに抱え込んでいたので、突然学校を止めたバカ息子状態でしたね。

予期不安からできないことが増えていく恐怖

それから、パニック障害の症状が増えていくのはあっという間でした。

もし、散髪している途中で発作が起きたらどうしようと思うと散髪屋に行けない。

もし、歯医者で治療している途中に発作が起きたらどうしようと思うと歯医者に行けない。

もし、スーパーのレジで並んでいる途中でトイレに行きたくなったらどうしようと思うと並べない。

もし、映画を見ている途中で・・・もし・・・もし・・・と。

悪循環で一気にデキないことが増えていきましたね。

もちろん、仕事もまともにできない状態でバイトは転々としました。

パニック障害でも迷惑を掛けずにできる仕事

私の中では一番最悪な状況でしたが働かない訳には行きません。

19歳の中途退学者ですので、一般的な会社に勤められる訳もなく、常にアルバイトの状態でした。

もちろん、工場のライン勤務なんてできませんし、流れ作業的な仕事などにも入ることはできません。

トイレに抜けるのも自由にできないですからね。

なんとかスポーツショップの店員になることができ、限りなく迷惑が掛からないという条件で職場を見つけることができましたが、できないことが多い日々は同じでした。

ひとまずこれが、海外移住した私がパニック障害になったきっかけ(原因)です。

パニック障害を克服して海外移住

ここまで読んでくれた人は本当にパニック障害に困っている人か困っていた人のどちらかでしょう。

私も今はフィリピンに住んでいると言っても、パニック障害が完治した訳ではありませんし、今でも精神状態、身体的な疲れなどから発作を起こすことはあります。

飛行機に乗る時は今でも緊張しますし、乗り物に乗る前はトイレにしっかりと行かないと安心できません。

海外に住んでいて一人で発作を起こした時の心細さと言ったら泣けてきます。

しかし、以前と比べれば間違いなく克服できていると言えます。

また、ある意味で私はパニック障害のおかげで自分の人生は自分でなんとかするという考えを持つことができました。

今ではフィリピンに海外移住して、のんびり生活しながら定期的に海外一人旅も楽しめています。

なので、もしあなたがパニック障害を持っているとしても人生悲観しないで下さい。

完治するとは言わなくても、自分にできる行動をしている内に今の状態は必ず良くなります。

そのうち克服してパニック障害と上手に付き合うことができるようにもなりますよ!

という訳で、お話は一旦終わりますが、私のパニック障害克服への道が誰かの助けになることを祈って、また別のお話もそのうち書いてみたいと思います。

この記事?は自己満足だけで書いていますので、最後まで読んでくれた人はありがとうございました。